スポーツと挫折を経て見出した「本当の資産」
第1章:幼少期 – 好奇心と負けず嫌いの芽生え
昭和59年、文京区にある東京大学で生まれました。足立区の北千住という下町で育ちました。

小さい頃から、僕はとにかく好奇心旺盛で負けず嫌いな子どもでした。
少し年の離れた兄がいるのですが、幼い僕はいつもその兄の後を追いかけ、兄がすることは何でも真似をしたがるような子だったのです。
砂場遊びでもかけっこでも、「お兄ちゃんに負けたくない!」という一心で必死になっていたのを覚えています。
何にでも首を突っ込んでは「どうして?」「自分にもできる!」と挑戦する――
そんな姿に両親は苦笑しながら「落ち着きのない子だね」と呆れていたものです。
でも振り返れば、この旺盛な好奇心と競争心こそが、後に僕を大きく成長させる原動力になっていったのだと思います。

そんな僕が幼少期に夢中になったものの一つがスポーツです。
小学1年生の時から3年生まではサッカーをやっていたんですが、兄に連れられて地元のミニバスケットボールの練習を見に行った日、コートを駆け回るプレーヤーの格好良さに心が躍り「僕もあんな風になりたい!」と、小学生3年生の頃に地域のミニバスケチームに入りました。
そこから毎日のように練習に明け暮れる日々が始まったのです。

また、意外と言われるんですが、吹奏楽部に入っていて、東日本優秀賞を頂きました。(一番右のチューバが僕です、笑)
-1024x830.jpeg)
第2章:学生時代 – バスケ漬けの日々と得たもの
学生時代の僕は、まさにバスケ漬けの日々を送っていました。
中学では1年生で東京都の選抜メンバーに選ばれ、中学最後の大会では都ベスト8まで勝ち進むことができました。
高校は全国大会常連の強豪校にスポーツ推薦で進学し、3年連続でインターハイ(高校全国大会)に出場。
僕自身も東京代表の一員としてコートに立ち、国体など大舞台を経験しました。
大学でもバスケ部に所属し、4年間プレーヤーを続けて神奈川県大会で優秀選手に選出されるなど、それなりの結果も残せました。
-1024x768.jpeg)
とにかく小学校から大学卒業まで、休みと言える日は年末年始と夏休みの各2日間だけという、とんでもないスケジュールで本当に毎日バスケばかりの青春時代でした。
朝から晩まで汗まみれになってボールを追いかける生活は大変ではありましたが、不思議と辛さよりも充実感の方が大きかったんです。
コーチや仲間たちと泣いたり笑ったりしながら、
「努力すること」「チームで協力すること」「限界まで自分を追い込むこと」
の尊さを身体に叩き込まれました。
正直、勉強の方はといえば…ほとんどしてきませんでした。
高校も大学も推薦で入学してしまったため受験勉強の経験がなく、今になって「本当に勉強してこなかったなあ」と我ながら苦笑してしまいます。
ですが、それほどまでに熱中できるもの、共に戦った仲間に出会えた学生時代は、何ものにも代えがたい宝物です。

第3章:社会人初期 – お金至上主義と燃え尽きの予兆
大学卒業後、社会人となった僕は、新たなフィールドに飛び込んでいきました。漠然と「大きく稼ぎたい、成功したい」という野心に突き動かされていた20代前半、当時ベストセラーだった『金持ち父さん貧乏父さん』を読んだ僕は、「資産を持つ者がこの世の勝ち組だ」という言葉にすっかり影響されてしまいます。
それならば資産を築こう、と安易に考え、不動産投資こそが近道だ!と信じて不動産会社の門を叩きました。
運良く不動産投資の営業会社に就職できましたが、待っていたのは想像以上に過酷な営業の日々です。
昼夜を問わず飛び回り、時には深夜3時までお客様と商談し、週一の貴重な休みも電話が鳴れば出社せざるを得ない…という生活でした。
しかし必死に食らいついて成果を出し、24歳の頃には月収120万円を手にすることもありました。
若造にとって120万円という大金を稼げたのは誇らしかった反面、正直言って舞い上がってしまい、何に使ったのか記憶がないほど湯水のようにお金を使ってしまいました。
勢いに任せてがむしゃらに働き、稼いでは散財する――そんな日々を送っていたのです。
しかし社会人生活も数年が経ち20代後半に差し掛かる頃、僕の心にはある疑問が大きく膨らんでいきました。
「自分は何のために働いているんだろう?」。
稼げるときは稼げるが、調子が悪いと給料は一気に減り、手取り15万円に落ち込む月もある。
不安定な収入で生活が苦しい時期には借金までして自己投資と称し、高額なセミナーや書籍を漁ったこともあります。
気づけば借金は500万円近くに膨らみ、まさに綱渡りの状態でした(全額返済済みです、笑)
それでも「これは将来への投資だ」と自分に言い聞かせ、半ば暴走気味に走り続けていたんです。
今振り返れば我ながら無茶苦茶ですが、当時はそれしか知らなかったのでしょう(笑)。
案の定、そんな無理が長く続くはずもありませんでした。
激務とストレスで心身ともに疲弊し、20代の終わりには体はボロボロ、気力も擦り減っていました。
学生時代あれだけ鍛えていた体は見る影もなく、お腹周りに贅肉がつき、毎日がだるくてしょうがない。
明らかに自分自身が「燃え尽き」かけている…と感じていました。
心にはポッカリと穴が空いたように情熱が失われ、「このままじゃまずい、でもどうすればいいのか…」と暗中模索する日々でした。

第4章:転機 – 「やるべきこと」の発見と健康への目覚め
どん底の状態だった僕に、転機が訪れます。
それはあるセミナーに参加した時のことでした。
講師の口から発せられた
「やりたいことをやるんじゃない。やるべきことをやった方がいい」
という一言が、まるで頭を金槌で殴られたかのような衝撃を与えたのです。
当時の僕は世間の風潮に漏れず「好きなことを仕事に」「やりたいことを見つけよう」と躍起になっていた真っ最中でした。そんな中で飛び込んできた「やるべきことをやれ」という逆説的なメッセージに最初は戸惑いましたが、必死にその意味を考えました。
やがて僕なりに辿り着いた答えは、
「それは自分にしかできないことなんじゃないか」ということでした。
自分にしかできない“やるべきこと”とは何だろうか――深く自分自身と向き合い始めたのです。
その最中、ふと、それまで目を背けていた現実に気づきました。
実は22歳で社会人になって以来、仕事に追われるあまり運動から遠ざかっていた僕の体は、無意識のうちにすっかり弱り切っていたのです。
高校・大学時代あれほど健康には自信があったのに、20代後半の自分はお腹も出て動きも鈍く、疲れが常に抜けない状態…。
「仮にお金をいくら稼いで資産を築いても、肝心の自分の体が壊れて寝たきりになってしまったら何の意味もないじゃないか?」
そんな当然のことに、僕はようやく思い至りました。
その瞬間、「健康こそ人生で最も大切な資産だ」というシンプルな真理がストンと腹落ちしたのです。
そして同時に、先のセミナーで得た「やるべきこと」の教えとこの気づきが一本の線で繋がりました。
背筋に鳥肌が立ち、暗闇が晴れるように視界が開けた気がしました。
「そうか、今の自分にとって本当にやるべきことは、自分自身そして周りの人の健康を取り戻すことなんだ!」と確信したのです。
長年スポーツに打ち込んできた自分だからこそ、人一倍健康の尊さを知っている。
運動する楽しさも辛さも身をもって経験している。
だったらそれを活かして自分も周りも元気にしていくことが、「自分にしかできないやるべきこと」ではないか、と。
気づいたが吉日。
僕はすぐさま行動を開始しました。
まずは自分自身の生活を一変させ、徹底的に健康第一の習慣を取り戻すことにしたのです。
毎朝早起きして筋トレを日課に組み込み、食事内容も見直しました。
仕事中でも合間を見て懸垂したり、デスク横でスクワットしたり…周囲から見れば奇妙だったでしょうが、それくらい本気でした(社内ではちょっとした変人扱いだったかもしれませんね)。
何ヶ月か地道に続けるうちに、みるみる体が変化していくのが分かりました。
鈍っていた体が軽くなり、いつしか慢性的なだるさも消え、朝から晩までエネルギッシュに働けるようになったのです。月並みな表現ですが、心と身体の両方が元気を取り戻したことを実感しました。
自分自身の体が甦ったことで確信はさらに強まりました。
「よし、今度はこの得られたパワーと知識を、人のために役立てよう」と。
タイミングよく、当時急成長していたライザップというパーソナルトレーニング企業に転職し、トレーナーとしての専門知識と経験を積む機会にも恵まれました。
そして31歳の時、満を持して独立。
念願だった自分のジムを持ち、本格的に「健康づくり」をライフワークとして歩み始めたのです。

第5章:現在の役割 – 心と身体をつなぐトレーナーとして

こうして第二のキャリアを踏み出した僕は、現在トレーニングジムを2店舗を経営しながら、自身もパーソナルトレーナーとして活動しています。これまでに延べ500人以上のクライアントのボディメイクをサポートし、
その結果なんと合計2,000kg(2トン)以上もの脂肪を落とすお手伝いをしてきました。
数字だけ聞くと自分でも驚きますが、それ以上にクライアントの皆さん一人ひとりが見せてくれる笑顔と自信に満ちた表情が何より嬉しいのです。

かつて営業の世界で味わった一時的なインセンティブよりも、
今は人の人生が好転する瞬間に立ち会えることが心からのやりがいになっています。
僕は単に筋肉をつけるためだけにトレーニング指導をしているのではありません。
「運動を通じて人生をより良くしてもらいたい」という思いを胸に、この仕事に誇りを持って全力で取り組んでいます。
かつて自分自身がそうであったように、身体が変われば心も前向きになり、新しい挑戦をする活力が湧いてくるものです。
クライアントの方々が健康的な習慣を身につけ、自分らしく輝いていく姿を見る時、僕は心の底からこの道に飛び込んで良かったと思います。
振り返れば、学生時代に培ったストイックさや根性は、トレーナーとしてお客様を励ます力になっていますし、不動産営業で鍛えられた対人コミュニケーション能力やマネジメントスキルも、経営者としてジムを運営する今に生きています。
まさに、過去の経験すべてが今の自分につながっているのを感じます。
あの時挫折し身体を壊したからこそ、健康の大切さに気付けました。
無我夢中で営業に打ち込み迷走したからこそ、本当に自分が情熱を注げるものを見つけられました。
そう考えると、遠回りした分だけ人より多くのことを学べたのかもしれません。
そうやって苦労も失敗も笑い飛ばしつつ、今ではこのフィットネスという自分の戦うフィールドで、誇りと喜びをもって汗を流しています。
余談ではありますが、学生時代バスケットボール一筋で頑張ってきた僕ですが、今は第二のスポーツキャリアとして、ゴルフの練習に励んでます。目指すは日本ミッドアマチュアに出ることです。パープレイで回る力がないと出れないと思うので、相当な練習が必要ですが、日々トレーニングの知識を活かしながら頑張ってます。笑

第6章:未来への展望 – 健康資産で人々を輝かせるために
現在の僕のテーマは、「健康が人生において最も大切な資産である」という気づきを一人でも多くの人と分かち合うことです。
誰もが自分の身体をもっと大事に扱い、心身の健康を土台に人生を築いていくべきだと強く思っています。
なぜなら、心と身体は切り離せないものだからです。
例えば心が疲れてしまった時こそ身体のケアを怠らないことが大事ですし、逆に体調が悪い時には心の持ちよう(物事の見方・捉え方)を見直すことで楽になれることもあります。
もう一つ、僕がこれから大切にしていきたいと感じているのは「物事の捉え方次第で人生は変わる」という視点です。同じ出来事でも、ネガティブに見るかポジティブに解釈するかで心への負担は大きく違います。だからこそ、自分の心が軽くなるような解釈を選ぶクセをつけるだけで、人生はもっと楽になるのです。
これは僕自身、挫折を経験する中で身につけてきた智慧でもあります。
世の中には情報があふれ、誰かの価値観や理想が簡単に飛び込んできます。
気づかないうちに「自分もああならなきゃ」と他人の夢を追いかけてしまう人も多いでしょう。実際、かつての僕も周りに流されて「これが自分のやりたいことだ」と思い込もうとしていた時期がありました。
しかし本当は、一人ひとりに「自分にしかできないやるべきこと」があるはずなんです。
自分の本心から湧き上がる目標を見つけ、それに向かって心と身体の両面からアプローチしていくとき、人は本来持っている資質を解放し、内側から輝き始めると僕は信じています。
僕の目標は、そうやって
「心と身体の資質を解放し、内側から輝く人」
を一人でも増やしていくことです。
言い換えれば、健康という土台と前向きな心を身につけて自分らしく活躍できる人を増やすお手伝いをすることが、これからのライフワークだと位置付けています。
幸いなことに、今までの人生で得た知識や経験、そして何より挫折から学んだ教訓が、それを可能にしてくれると信じています。
具体的なアプローチとしては、「習慣の力」を伝えていきたいですね。
結局、人は習慣によって作られていますし、
「習慣を制する者は、人生を制する」
と僕は思っています。
だからこそ無理なく続けられる健康習慣を身につけるサポートを通じて、その人本来の輝きを引き出すことができるでしょう。
これこそ、僕自身が人生を懸けて取り組んでいきたい活動でもあります。
最後になりますが、あの挫折と転機が僕に教えてくれた「本当に大切なもの」のおかげで、今の自分があります。人生に遠回りはつきものかもしれません。
だからもし今、目の前の壁にぶつかって悩んでいる人がいるなら、声を大にして伝えたいです。
「その経験はきっと未来の糧になる。あなたにも、あなたにしかできない輝きが必ずあるから」と。
これは過去の自分へのエールでもありますが、僕はこれからも健康という切り口で、人々が自分の輝きを見出すお手伝いを続けていきます。
温かく見守っていただければ幸いです。ここまで僕の物語を読んでくださり、本当にありがとうございました。

みんなでラフティング&バーベキュー
